慶明寺について

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慶明寺について

弘安4年(1281年)建立の臨済宗妙心寺派の寺院。
当山は臨済宗妙心寺派のお寺で、
弘安四年(1281年)法外圓和尚によって開山されたお寺です。
山号は覚照山、寺号は慶明寺です。
ご本尊には薬師如来様をお祀りしており、
古文書などにも古くから
「平野町 慶明」の地名があることから考えると、
古来よりこの地で地元の人々から信仰され、
大切にされてきたと考えられています。

由緒について

平安時代の陰陽師
「安倍清明」

「今昔物語」に登場する天文学者で陰陽家であった安倍晴明がここに立ち寄り、梵字を彫ったという自然石がある。
石の下には、鎌倉時代の播磨の悪党花岡太郎が埋められていると伝えられている。
当山創建以前の歴史も古く「播磨鑑」によれば、花岡山にかつて「今昔物語」にも登場する平安時代の陰陽師 安倍清明(921~1005年)が居を構えていたとも言われ、同書には清明手植えの松の絵も描かれています。
手植えの松は残念ながら近年消失していますが、境内には清明が自ずから刻んだと伝えられる梵字3字を彫刻した石碑が残っています。阿弥陀三尊(阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩)を表すこの梵字が彫刻された石碑の下には、かつてこの花岡山にいた悪党 花岡太郎の霊が荒れ狂った際、清明が梵字を刻み、この石の下に封じ込めたと伝えられています。

安土桃山時代の武将
「宇喜多 秀家」

安土桃山時代に活躍した宇喜多秀家公(1572~1655)、当寺に縁の深い人物であります。
豊臣政権下(の末期)の五大老の一人で、家督を継いだ幼少時から終始秀吉に重用されていました。
秀家公の父、宇喜多直家公は備前の国の武将でした。
直家公亡き後、秀家公は「秀」の字を名に許されるなど豊臣秀吉に寵愛され 猶子となって、秀吉の養女であった前田利家の娘 豪姫を正室に迎えています。
秀家公は関ヶ原の合戦で活躍し、のちに八丈島で83歳の天寿を全うしています。
現在、宇喜多家の墓所が当寺霊園にあり、宇喜多家の血脈を伝えています。