花閑鳥自啼
世界は、本来すでに整っている。
静けさも、真実も、どこか遠くにあるのではなく、ただ目の前にそのまま在る。
野に目を向ければ、花は時を得てひらき、鳥は思うままに声を放つ。
そこに意図や命令はなく、それぞれがただ、自らのあり方を生きている。
人は意味づけや優劣に心を奪われ、物事を理解し、支配しようとする。
しかし、その働きがふっと止んだとき、はじめて見えてくるものがある。
何も足さず、何も変えずとも、この世界はすでに不足なく成り立っているということだ。
禅が示すのは、何か特別な境地ではない。
むしろ、余計なものを手放した先にあらわれる、ごくありふれた現実の姿である。
花はただ咲き、鳥はただ鳴く。
その当たり前の中にこそ、人もまた無理なく在る道がひらけている。。