雨奇晴好

蘇軾(そしょく)は、西湖の風景を眺めながら、
「水光瀲灔(れんえん)として晴れて方まさに好し、山色空濛(くうもう)として雨も亦た奇なり」
と詠みました。
ここでの「奇」とは、ただ「珍しい」という意味ではなく、
「趣がある」「興味深い」といった、心にしみるような感覚を表しています。
つまり、
晴れた日のきらめく水面も、
雨に煙る山の景色も、
どちらもそれぞれに美しく、味わい深いということです。
「晴れ」と「雨」は、私たちの日々の心のありようにも通じる言葉です。
たとえば、「心晴れやか」は明るさ、「心は雨模様」は沈んだ気持ちを表します。
でも、「雨奇晴好」には、
どんな天気にも、どんな日にも、
それぞれの美しさを見つけて味わうという、しなやかな心が込められています。
禅のこころとは、まさにそういうものなのかもしれません。
晴れてもよし、雨でもまたよし。
すべての瞬間が、今ここに生きている証。