百花春至為誰開
春ですね、また紫のアヤメが咲いています。
春の禅語に「百花春至って、誰が為に開く」という言葉があります。
春になれば花が咲く。その花はいったい誰のために咲くのでしょう。
人に見せるために咲くのか。鳥や虫を呼ぶためにほころぶのか。
花は決して他の評価を期待したり、思惑を気にして咲くのではありません。
花は無心です。すべては本来そなわった天分が、時節因縁を待って開花するだけのことです。
人間も同じことで、人それぞれ個性や才能を持っておりますが、それは他人の為の
ものではなく、その人その人に与えられた、かけがえのない天分であります。その
天分が時節因縁の熟すのを待って開き現れるのです。