百花春至為誰開
「春が来てたくさんの花々が咲くのは一体誰の為に花を咲かせるのか?」と問いかける言葉である。
綺麗に花々を咲かせる植物は人々を楽しませるために花を咲かせているわけではなく自然の摂理であり自分自身の生命の役割を無心に果たしているだけである。
花は無心であればこそ時期が来れば時を違えず美しく咲き、一切の作為もないまま人の眼を喜ばせているのである。
花はただ咲き、私達に生き方を教え、勇気づけ、慰め、そして楽しませてくれている。
しかも花はその功を少しも誇る事もない。
自分の存在価値、生きる意味などふと疑問になる瞬間があるが、自分の人生は他人に評価される為でなく、自分の信に従って一生懸命であればいいとの意。