晴耕雨読
梅雨の時期には「晴耕雨読」という言葉を思い出すことはありませんか? わたしはよくあります。
晴耕雨読という言葉に、わたしはどこか憧れがあります。
物事にあたるとき、どうしようもない弊害があったら潔く諦める。くよくよと悩まない。いまある状況で楽しめることを見つける。そんな晴耕雨読のスタンスでいられたらかっこいいなあ、と。
どうにもならないことに固執してしまったり、ネガティブなことにばかり目線を向けてしまったり……わたしはといえば、そんなことがすくなくありません。どんなときでも、いまを楽しむまっすぐな心を持っていたいと思うのです。
晴耕雨読というと怠惰な生活を送っているイメージを持たれることもありますが、すてきな言葉として捉えて、焦るときには「晴耕雨読でいよう」と自分に言い聞かせています。
世界中が新型コロナウイルスに脅かされ、まるで目に見えない雨に打たれているような、いま。多くの人が「晴耕」ではなく「雨読」の時を過ごしているのではないでしょうか。
おうち時間が増えている中、雨の日に家で静かに本を読むように、心穏やかに過ごせる「なにか」を持っていたいものです。
それぞれの暮らしで、それぞれ晴耕雨読の在り方で、健やかに過ごせますように。心からの願いを込めて。